関戸哲也〈空宙空地〉

【総評】

まずはこのコロナ禍の中で開催すべく、奔走してくださった全ての皆様、本当に本当にお疲れ様でした。特に運営は、相当気を張った中での開催だったと思います。ありがとうございました。おかげで4種類の個性的な作品に巡り会えました。また、涙を飲んで辞退された4団体の皆様、かける言葉も見つかりませんが、いつか作品拝見できる機会に巡り会えますよう願っておりますので、どうか創作の熱を冷まさないで作品作りに、表現に取り組んでいただきたいと思います。

 

さて、学生演劇祭ですが、僕もはるか昔の学生演劇出身です。名城大学「劇団獅子」から演劇を始めました。その頃は学生演劇祭みたいなイベントはなかったですね。学生の頃といえば、ありあまる情熱はありましたが、悲しいかな決定的に知識がなく、「箱馬」ってモノを知らなくて、学内公演等では酒屋から借りてきたビールケースを箱馬がわりに使っておりました。先輩から「勢いよく横から乗ると滑るからさ、真上からそっと乗るようにしろよ!」なんて言われてたものです。その点だけにおいてもこうしてプロが手伝ってくれる現場は貴重だし、羨ましいと思います。また、他の学校との交流も機材の貸し借りが主で、こういう風に一律のルールで比べられるイベントはなかったように思います。

比べられる場に作品を出すってことだけでも、大したものだと思います。

 

ここに参加されてる皆さんの事情は様々ですかね。プロを目指そうとしてたり、タイミングがたまたま合ったり、思い出作りだったりするのでしょうか。

僕の学生時代のことを正直に話せば、僕個人は評価されたいばっかりでした。自分に才能やセンスがあるのか、ちゃんと言うと「自分に才能がない」って言う事実を突きつけられるのが怖くて、そのことを気に病んで、かえって尖りすぎた作品を作ったり、他大学の作品を無茶苦茶言ったり、目を覆いたくなるような惨状でした。大学卒業しても、芝居を続けても良いのかどうか、答えが分からなくて、悶々としてる日々の記憶が強烈にあります。

 

今回、こういうイベントですので「大賞」は決まります。評価を奪い合う場なのでどうしてもそうなります。ですが、だからと言って「大賞」以外の方達に「才能」や「センス」がないのかと言うとそんなことはありません。たまたま、今回の「大賞」はこれでしたってだけです。

昔の自分みたいな人がいるかもしれませんので、今の僕があの頃の自分に声をかけるとすると「大事なのは「才能」ではなく「覚悟」」と答えると思います。本当の意味で「才能」があるかどうかを分かる人ってのは「自分」も含めて、いないように思っているからです。10年後20年後の自分を決めるのは「覚悟」じゃないかと。この言葉だけでも、送るべきかと思いました。

また、僕の採点基準は、何をやろうとしているか、やろうとしていることが効果的に舞台上に現出出来ているか。を頭において拝見しました。あくまで、この感想は僕の個人的意見です。が、今回、審査員3人とも同じ1位2位でした。ので、問題なく大賞が決まりましたことを付記しておきます。

また、ここに参加された、参加できなかった皆様と、より高いステージで、現場で、ご一緒できる日が来る事を信じて、精進を重ねたいと思います。

 

【個評】

①有頂天演劇Collaborations「燕子花市民会館第三ホール」

芝居を拝見して「あぁ・・・俺ら学生の頃。こんな感じだったな」と思いました。良い意味で、無駄に熱くて、無駄にテンション高くて、情熱を信じてる。そんな感じを受け取りました。非常に親近感が湧きます、が、正直に言って、設定や、展開にちょっと無理があるかと思います。でも、俳優の情熱を信じて無理を押し通そうとする熱意を感じました。その意気やよしです。ですが、ちょっとそれでは押し通せなかったなというのが感想です。

 

演劇を行うための公共ホールの利用券。利用したい2団体と、利用させまいとするホールの職員、それの争いをアクション映画、スパイ映画の派手さでバカバカしく彩るコメディと思いました。

その設定なんですが、ガラスケースに設置された「利用券」をルパンよろしく強奪にくる、と、言うのと、職員が利用申請を通さない。っていう、設定がうまく飲み込めなかったりします。また、途中で出てくる、御茶菓子、牡蠣の件はその後の大岩を追い詰めるだけのギャグに見えてしまいます。こういう問題はあげたらキリがないのですが、僕が言いたいのは、そういう問題があっても(全く矛盾のない作品もどうかと思いますので)気にさせないぐらいの説得力を持てると良いなと思うのです。どこかで説得力を持たせて見せてくれると、気持ちよく見れます。観る方が気持ちよく騙されることができます。もしかしたら、それは演技力かもしれませんし、構成力、演出力になるのかもしれないです。僕は、この作品について言えば、台本上での設定をもうちょっと分かりやすくスリムにした方が良いと思いました。

 

あと、舞台上の現出のさせ方において、最初のシーン。カッコ良い曲と、パンと入るスポットの中、早口の大声で名乗りをあげて登場します。それが、求めてる疾走感を出すのに、効果的かどうか、特に演劇において。そのことに自覚的であって欲しいかと思います。アニメや映画ではなく演劇なので、舞台の上で「疾走感」を出すのは、大声や、早口や、スポットではなくても別の方法があるのかも知れません。同じく、脚本を拝読すると「ちょっと早く言ってよおおおおおおおおお」とか「しまったあああああああああ」の表記が散見されます。語尾を何度も打つ、作家さんのそのテンションの高さは痛いほど分かりますが、大事なのはその台本の感じをどうやって舞台上に、俳優の肉体を通して生み出すかだと思います。

もしかしたら何本も作られると、テンション高いってことが激しく叫ぶことだけではないこと、静かに喋ってても「熱い」ってことを感じさせる瞬間があること、に出会うかも知れません。その時に、もっと高みにいけるんじゃないでしょうか。僕らも、「劇団獅子」の諸先輩方も、そうやってテンション芝居からどんどん芝居のスタイルが変わってきています。

 

タイトルも含めた、名前は良いかと思いました。台本最後の春を待ちわびる感じと、これは作者本人に聞いたんですが、登場する施設や名前の全部に花とその花言葉を、「春」を待つ願いを込めて、名付けたそうです。その繊細さと、詩情、叙情みたいなところを大事にした作品こそこの作家さんの本質ではないかって気がして、叙情に溢れた作品も見てみたいと思いました。

 

②劇団Noble「晩餐」

最後の祈りのシーンに向かって、様々なイメージが現れては消えてゆく、文学でいうとこのアフォリズムに近い感じで全編を組み立てているような作品と思いました。

舞台の上に現出させるべきナニモノカを、作、演出、舞台美術、照明、音響、衣装、俳優(あの感じの俳優さんが近くにいることもすごい)各セクションがイメージをキチンと共有して、現出するのに成功していると思いました。

 

世界観が繊細なものであるので、その(言葉にできない)イメージを共有するのは難しいかと思いましたが、見事と思いました。最初に舞台美術を見た時に美しいと思いましたし、何よりビックリしたのは長テーブルに男女が二人いての会話なのですが、10分〜15分くらい、そのまま座ったまま喋り続けて、飽きさせることなく見せ続けたことだと思います。演出がちょっと、不安だったり「あれ?見た目変んねぇな」なんて思ったりすると、ミザンス(立ち位置とか段取りですね)を変えたりしがちなんですけど、そこを照明や演技や、イメージの展開で魅せ続けていました。これ、簡単に感じるかも知れないですが、やろうとするととても難しいと思います。僕の好みとしては「もしかしたら最初から最後まですわりっぱ?!」なんて思ってましたが、流石にそれはなかったですね。

 

内容も、日常を感じさせたり、太古を感じさせたり、人類の終末を感じさせたり、哲学的でした。その中で出てくる。金柑のイメージ、畑のイメージ、頭を撫でるおじいちゃんのイメージなどのある種懐かしい感じが効果的に挟まれていたように思います。「文明が進むことが、すべてのものに名前をつけることである」ことや、夢の件も聞いてるこちらのイマジネーションが掻き立てられ、とても良かったです。

また、音響等のサイズ感なんですが、B G MもS Eも気持ち良い大きさで流れていました。これ、気持ち良い大きさのサイズ感でS E流すって、だいぶ重要だと思います。音響か演出が劇場と作品のサイズ感をちゃんと把握できてるかの目安にもなります。

作と演出の表記が違ってたので、こんな繊細な世界を共有できる人がいるってすごいなと思いましたが、よく聞いたら同一人物とのこと、あぁ、なるほどとも思いましたが、それでも全セクションが同じ方向向いてるのはすごいと思いました。

 

あとは、超個人的な感想になりますが、もっとイメージが膨らんでも良かったかと。もっと最先端の時代を感じさせるイメージ(例えば化学物質やコンピュータや硬質なイメージ)を感じて、どんどん揺さぶって欲しいなと思ったり。最後の着地が「祈ることしかできない」や「ゴドー待ち」の感じで終わってるのが、もっと別の着地の仕方でも良かったのかなとは思いました。

「誰かを待ちながら二人は祈り続けている。」

と、台本にはタイトルの横に書いてあるんですが、ここの最後の着地が、もうちょっとオリジナルのイメージだと、さらに「すげぇ」と思ったと思います。

 

後は、音、最初に流れてたのが「KOKIA語」の曲ですかね。脚本を拝読した時に「「KOKIA語」か佐藤直紀を流してみたい」と書いてあったので、探して聞いてみました。なるほどと思いました。ここで、審査員間でも話題になった、最後カーテンコールの「椎名林檎「本能」」についての話も触れておこうと思います。こういうイメージ優先の繊細な芝居で最後に有名な、これまたイメージのはっきりした「本能」を流すのが是か非かって話がありました(僕は是だと思いました)。ここで、僕の言いたいことをもうちょっとちゃんと言っておくと、最後の椎名林檎の曲の使い方より、最初の曲の使い方の方が気になるってことです。KOKIA語の曲をいくつか聞くとよく分かるんですが、強烈な世界観を感じさせる曲で、この芝居にとてもよく合ってます。でも、だからこそ、芝居全体のイメージがこの曲で何割か担保されてしまってるとも感じました。切ないシーンで切ない曲が流れる時の感じ方に似てるでしょうか。曲が作る雰囲気はとても強いので。

それが、もうちょっと、うりんこ劇場の上で現出される、俳優、照明、衣装、舞台美術から感じられても良かったかなというところです。音に頼らずそこ信じても十分世界は伝えられたかと。「本能」はそれまでの雰囲気とそぐってはいないので、良かれ悪しかれ違う効果になるってことです。

や、あの、長々書いてしまいましたが、そこまで拘って言いたい訳じゃなくて、ちゃんと説明しようとするとこうなりますよってことです。自戒を含めて雰囲気のある曲を流すときは自覚的でありたいよねってだけの話です。この芝居にはとても良く合ってました。

 

と、いうわけで、いろいろ書いてしまいましたが、とても総合力の強い作品と思いました。お見事でした。

後、この作風は今のところどんどん洗練させていくべきとは思いますが、先鋭になりすぎるとお客さんを選んでいくかとも思いました。その辺りの劇団の行く末みたいなものも気になりました。やっぱりここも、5年後どうなってるか見たい劇団です。

 

③劇団もるもっと「歩幅を合わせて」

女性3人の喫茶店でのお話。高校時代一緒に舞台を作っていた、サリナとリン。大学卒業間近でちょっと自分のこれからを思いあぐねていたサリナは、リンを誘って、昔のようにリンや他の高校時代の仲間と芝居をやろうとするも、リンは結婚も控え、忙しくしてて舞台やる時間は取れない。そこに、読み合わせでよく使っていた喫茶店の馴染みの店員さんも話に入ってきて・・・。

みたいな感じのお芝居と思いました。書いて演出しているのが男性で、よくまぁ、20代前半で、3人もの女性の登場させて人生を語らせ、それを演出したなぁと感心しきりでした。

が、ちょっと舞台上にドラマを現出させるのに成功してるとは言えないと思ってしまいました。各セクションについて書いてみます。

 

作。ドラマ(葛藤)を産み出すのは、演技を産み出すのは、と言っても良いかも知れませんが、目的と障害です。ロミオとジュリエットを想像すると分かりやすいでしょうか。ロミオとジュリエットが添い遂げたい(目的)に対して、親たちが反目し合う貴族同士である(障害)ということになるかと思います。この作品では、目的(サリナが高校時代の仲間と芝居をして今現在の自分の位置みたいなものを確認したい)と障害(リンが結婚等で忙しくなって、気持ち的にも芝居から離れてる現在地では舞台はできない)になるかと思いますが、特に、目的がもうちょっと重いものであって欲しいと、サリナにとって、ということは作者にとって、切実なものであって欲しいと思いました。サリナは大学でも演劇部にいて、そこでも充実してる風情です。とすると、サリナの抱える問題が大したことないことになってしまいます。その割に、お話の最後は、サリナの今とこれからを肯定する感じの着地にさせたいように思いました。ここ、練って、目的をどう設定するか、そこにどんな障害を置くか、まだまだ練る余地はあるように感じました。どんな意味でもサリナの成長物語のお話の筈なのが、成長する壁が低い、あるいは見当たらない感じになってしまってるってところでしょうか。

 

もう一つ、シーンのはじめさせ方ですが、喫茶店にサリナが「久しぶり」って入ってくるところから始めています。ドラマには平田オリザさんの言うところの「対話」が必要です。噛み砕いていうと、本心みたいなことになるでしょうか。それをぶつけ合うということですかね。何らかの意味でサリナの本心が表に出る状況を作らねばなりません。それを20分でやる時に頭から書いてしまうと「久しぶり」「久しぶり」「今までどうしてたの?」「意外に元気だったよ」「メニューは?」などと書かねばならず、なかなか対話に辿り着けません。興味深く惹きつけることも難しいかと。

これは持論で、僕が短編で心がけているのは「なるべく物語を始めてしまっている」状況を生み出すことです。ここで言うと、例えばサリナとリンが言い争っているところから始めるとか、せっかくサリナが台本書いて、この喫茶店で読み合わせてたって設定なので、サリナの書いた新作台本を読み合わせてる「劇中劇」から始めるとか、やりようは色々あるかと。ラーメンズのコントの作り方や、イッセー尾形さんの一人芝居の作り方が参考になるかも知れません。

 

演出について。S E。ケータイの音、カランコロンの音。大きさに気をつけたいですね。作品の世界観と劇場をもうちょっとマッチさせられるかと。後、どうしても二人の話なので世界が閉じがちです。作でも演技のさせ方でも、もうちょっと外部を感じさせるともう少し見てる側の息が楽になるように思います。

演技について。若干、みなさん意識が相手ではなく自分に向いてるように感じてしまいました。それと、相手のセリフに対しての反応が早いように感じました。演技の肝は「聞くこと」にあると思っております。どこのセリフで自分の気持ちが「揺れる」のか、に自覚的であると良いかも知れません。

長々書いてしまいましたが、これからだと思います。あ、作演出の方と交流会で喋ったところ、自分の大学生活において、いろいろ思うところがあるようで。それをこそ見たかったと思いました。これからの作品楽しみにしています。

 

④劇団バッカスの水族館「お前の聖ッ書」

女の子が母親に幼稚園で作った自作の絵本を何本も読み聞かせする話。話の暴走に合わせて最後は現実まで暴走して・・・。みたいな感じの話と受け取りました。

これを全編、溢れるギャグで包み込むような手触りの作品でした。何より、座組みとしての結束力、練度をとても感じました。畳み掛けるようなミザンス(立ち位置や段取り)でスピード感を持って展開していくのですが、ここの稽古がキッチリされている感じがとても良かったです。お話がお話だけに、このふざけている話の感じを座組みが誠心誠意取り組むことによって、ある種の爽やかさが出ているように思えました。2人の母娘の俳優さん以外に3人くらいで様々な役を入れ替わり立ち代わりやるのですが、5人の演技の息が合ってる感じがして、それこそこのコロナ禍の中で、稽古場確保するのも大変だろうに、よく稽古積んでるなと感心しました。

 

ここの作品は最後がやはり賛否を呼ぶ感じではあると思いますが、僕個人は、なにがしかの評価をされるイベントで「私を簡単に評価するな」って主人公に言わせる根性や、「面白いって言え〜」だとか「バカに殺されるバカに殺される」なんていうところに悶えるほどの焦燥感を感じて、なんとか背中を押せないかと思いました。「バカに殺される」の「バカ」が僕にかかっているようで、なんとも申し訳ない気持ちになりました。

ここで特記しておきたいのは、座組みが本当に作演出のまーぼ春雨さんのことが大好きなんだろうなと感じたことです。内容の尖ってる感じもそうですが、なかなかに大変なあの世界観を体現するのに座組みの軸がブレていない気がして、そこでのお互いの信頼感のようなものを強く感じました。絆みたいなものでしょうか。作演出の人柄でしょうか、座組みの人柄でしょうか、両方かと思いますが、これ、とても大事なことのように思います。

 

あとは作品の作り方として。僕が、いろんな土地で短編作ってきてその中で感じた事、その持論で書きます。参考になれば。

お話の構成の仕方が並列に感じたのが気になりました。女の子の話すお話が4本かな?出てくるんですが、この並び方が横に並んでる印象に感じました。確かに、最後の方のお話の中ではメタみたいなのが出てくるんですが、感じ取り方としては、割と並列だなと。

ここで、短編こそスケッチや並列の印象がするとダメで、後半に向かってどこかのパーツが上がっていく印象。駆け上がりながら終われると良かったのかなと思いました。もっと、ギャグが、シュールでぶっ飛んでる方に行っちゃうとか、芝居の速度が早くなるとか、例えば娘を成長させるとか(※老人ホームでうつらうつらしてるお母さんに、娘が新たなお話を読んであげるとか。そうすると、母と娘の話になったりするのかなと。そこで語られるのがギャグ満載の絵本にしても「成長してない娘」としてドラマが立ち上がるかな、とか)。こう、それこそ言葉ではうまく言えないですが、グリンと回る感じに芝居全体がなると、とても引きつけられ、面白くなるように思いました。

まーぼ春雨さんは芸人さんもやってられるそうなので、芸人さんの感性でドンドン芝居も作って欲しいと思います。劇団かもめんたるの岩崎さんも岸田戯曲賞の最終選考に連続で入ったりしてるので。今後どうなるか、どこまで尖り続けるかも楽しみです。5年後10年後経た、この座組みの作品が見たいと思いました。

 

結果。

総合力と詩情を兼ね備えた劇団N oble「晩餐」を1位にしました。全国で、どう見えるか、そこの期待感も込めての投票です。2位に投票したのは劇団バッカスの水族館「お前の聖ッ書」。口頭での発表になりましたが、審査員賞とは別に審査員特別賞を劇団バッカスの水族館に送りたいと審査員間で決まりました。なんとか背中を押したい一心で急遽決めた賞です。この時点で審査員間で齟齬が生まれませんでしたので、そのまま審査員賞、審査員特別賞が決まりました。

両劇団の皆様おめでとうございました。劇団Nobleさんにはぜひ福岡で頑張っていただければと思います。

劇団もるもっとさんも有頂天演劇Collaborationsさんもお疲れ様でした。4団体の皆様、参加辞退された4団体の皆様も、これからだと思います。再びになりますが、また、飲み会とかじゃなくて、現場で、今よりお互い高いステージで、再びお会いできることを心から祈っております。

 

 

斎藤美七海〈劇団☆龍(Dragon)童子〉

【総評】

コロナ禍で演劇の公演をやることだけでも難しい中、このようにフェスティバル形式で沢山の人が関わる公演を行うのはとても大変だったと思います。

まずは改めて、出演者の皆様、実行委員の皆様、本当にお疲れさまでした。

参加が叶わなかった4団体のことを考えると胸が痛いですが、演劇を続けていればまた作品を拝見できる機会があると信じ、楽しみにしています。

 

結果として参加が4団体となりましたが、それぞれ色の違う作品を観る事ができて、楽しかったですし、短い時間の中でも演劇の多様性を感じる事ができました。私自身は、学生時代に仲間と演劇を創るというような経験をしてこなかったので、こうして同じ年代の方々が切磋琢磨しあって今しかできないであろう演劇を作り上げ、演劇祭を盛り上げている姿はとても羨ましく、素敵だと思いました。

 

人間というのは好みがあって、好きだと認識しているものの方が触れる機会が多いと思います。

私はマニアックなものよりわかりやすく大衆的なものが割と好みなんですが、そんな価値観や固定概念を壊してくれる作品と出会えて嬉しかったです。

 

僭越ながら講評を書かせて頂きましたが、そういう考えもあるんだと、皆さんのこれからも続く演劇人生の一助にしてもらえたら幸いです。演劇業界にとって苦しい時期はまだまだ続きそうですが、この苦しさを乗り越えて、ご活躍されることをお祈りしています。ありがとうございました。

 

【個評】

①有頂天演劇Collaborations「燕子花市民会館第三ホール」

冒頭の音楽から何が始まるんだろう…というワクワク感を煽りあり、ぶっ飛んだ設定をパワーで持っていく作風も個人的には好みでした。

ただ、パワーで持っていくならもっとやって欲しかったという印象。

滑舌や言い回し、音楽との音量バランスもあって冒頭のセリフがほぼ入って来ず、世界設定を理解しないまま置いていかれた感じがありました。設定がぶっ飛んでいる分何かしらの説得力が必要になってきます。

無茶苦茶な設定がどうでも良くなるくらいのパワーがあるか、視覚的、演技的にもう少し説得力があるとよかったかもしれません。ストーリーには展開があるのに演出や役者の表現が一本調子になってしまったり、終盤の主導権がどんどん変わっていくシーンでもメリハリなく、ドキドキせずに終わってしまったのが残念でした。

 

演技面では、緩急強弱で言うところの緩める所だったり、感情の凹凸を出すところは出していく、(全部がセリフを張って、力んでしまっているので)ふざけるところや突っ込むところできっちり違う表現をしていく、演出面では前半から伏線を張っておき、回収していくなどの爽快さがあれば、もう少しメリハリがついていくんじゃないかなと思います。もしも同じメンバーでお芝居をする事があれば、次回は男子三人でこそ出せるパワーを期待しています。

 

②劇団Noble「晩餐」

この作品を観た、何割かの人は特に演劇に馴染みのない人は「よくわからなかった」という感想を持つと思います。「わからない」というのは人間にとってストレスで、ともすれば嫌悪感に繋がることもあります。

ではこの作品がよくなかったかというと全く真逆で、ケチのつけようがないくらいに面白かったです。

 

音、舞台美術、衣装、照明、台詞のリズム、何かが少しでもズレていると、違和感が生まれ、ストレスにつながると思うのですが、全て同じ人がやってるんじゃないかと思うくらいに、全セクションが一つの世界観に向かって作られていて、綺麗に融合したとても美しい作品でした。例えば衣装ひとつとっても、白だけど、無じゃない、ただ白いものではなく、この世界のこの2人の証明となっていると感じられるなど、細部への気遣いが作品の説得力を増していてとてもよかったです。

 

設定は近未来だけど、原始を思わせたり、終わりを匂わせながらはじまりを示唆したり、非現実的を装っていながら突然生々しく現実味を浴びせてきたり・・・そのバランスが絶妙でした。ロールパンから小麦畑に戻ったり、子供を待ちわびながら、おじいちゃんを語ったり、始まりと終わりを散りばめた仕掛けも見事でした。

 

とても完成度の高い作品なので何もいう必要はないのですが、もしあえて何か言うとするなら、この美しい作品が10年20年人の心に残っていく作品になるよう、どこか引っ掛かるところ、印象に残るセリフやシーンを意図して創っても良いかもしれません。

 

③劇団もるもっと「歩幅を合わせて」

賞が決まる演劇祭で、癖のないストレートな会話劇で勝負したところは好印象でした。

ただ、内容も展開も、教科書を読んでいるような当たり障りのない感じが続いてしまったかな、という印象です。

 

久しぶりに友達と会った時、恋話してる時、思い出話してる時、人生の悩みを打ち明ける時・・・それぞれ気持ちやテンションが変わるはずで、2人ないし3人の間に流れる空気や雰囲気が変わるはずなんですが、それが見えなっかったのが残念です。逆に少し大きい表現をしてしまって、計算ではない引っ掛かりもできてしまっていたように思います。

 

舞台にテーブルと主に2人しかいない状態で、会話でお客さんを集中させ続けるのはとても難しいので、もっと環境を利用して、飽きさせない工夫が欲しいです。お客さんが少ない喫茶店であること、その中でも途中でお客さんが出入りしている環境であることを、目線や会話のサイズ感で色々なことが表現できるし、気まずさや居心地の悪さを表現するのにももっと利用しても良かったかもしれません。

 

上演時間を20分にするために台本をカットしたと聞き、なるほど、それで必要な部分だけが残った教科書のようになってしまったのかな、と感じました。余分だと思われる、カットしてしまった部分にこそ、自分達らしい想いや表現があったような気がします。もう一度、本当に必要なものを精査して、次の作品にはモルモットの1人1人の「らしさ」が出てくることを期待しています。

 

④劇団バッカスの水族館「お前の聖ッ書」

テンポもよく、パワーもあって、笑いの取り方もわかっていて、思わずクスリとしましたし、このコロナ禍でこの人数でも、きっちり練習している事が伝わってきくる、面白い作品でした。ポセイドン飯田の天丼までは本当に面白かったです。

 

そして、前半どこよりも楽しく見てしまったせいで、芸術系の大学生が書いた尖ったくだりやクライマックスは、しっかりとドン引きしました。しかしこれは、意図した自己表現だと思ので、狙ってやったとしたら作戦は大成功です。商業公演であれば、賛否両論別れると思いますが、バッカスの皆さんが、今の年代で自分達にしかできない演劇を創ってきたという意味では、とても面白く感じました。

 

ただ、客観的にみて、カオスだと思える結末や、過激に見える自己表現をするなら、もっと衝撃的であって欲しかったかなとも思います。本の中身と現実とが初めて交わるシーンで、セリフ噛んだのか少し上手くいかず、セリフのテンポ感が落ちてしまったり、子供が私を簡単に評価するな!と繰り返して母の服を剥ぎ取り、世界の住人にしてしまうくだりでも、やはり段取りに追われて勢いが落ちてしまっていくのはもったいなかったかな、と思いました。

 

照明やナレーションの使い方には、使ったほどの効果が得られていなかったので、使い方やバランスはもう一工夫欲しいところです。個人的には冒頭の飛べない豚のストーリーや、ザ・ノンフィクションのテーマを使い方とか、馬鹿馬鹿しくて大好きだったので、(過激な表現も含めて、)これからもバッカスにしかできない作品を創ってほしいと思いました。

 

 

カズ祥〈劇団あおきりみかん〉

【総評】

演劇を形にするのにはなかなかに力が必要なことだと思います。

こんなご時世の中でも、観た人の心を動かす芝居に出会えたことが嬉しかったです。

色んな感想や意見があるとは思いますが、一つの作品を作ったということはそれだけで誇れることです。自信を持ってください。

どの劇団の方とも、またどこかでお会いしたいと思います。

それが共演という形でも観客という形でも。

 

【個評】

①有頂天演劇Collaborations「燕子花市民会館第三ホール」

滑舌が残念でした。勢いのある台詞や展開自体は面白いものの、役者の技量が追い付いていない印象でした。

また、脚本も単発的なその場の都合だけで行われるネタが多く、積み上がりに欠けてしまっていました。

素敵なセリフもありましたし、二人を応援したくなる(観客の心が動く)ところはとても良かったと思います。

衣装や照明、音響のレベルチェックなどももっと工夫できると良いと思いました。

 

②劇団Noble「晩餐」

音響が抜群に良かったと思います。照明も舞台セットも小道具の使い方も素敵でした。

机を挟んで両端に向かい合う二人芝居にもかかわらず役者のテンポ感や細かな演技により集中して最後まで観られました。

「椅子に座りながら話す」という行為の中でも、背もたれに体重を乗せるか乗せないかなどの小さな変化が【表現】として昇華されていた。

ラストの椎名林檎の本能については賛否あると思いますが、

僕としてはせっかく名前のない二人の会話劇なのにガツンと「椎名林檎」という名前がこの芝居の最後によぎってしまうのは残念でした。

照明がもう少し温かみのある灯りだと蠟燭感が出てまた違った良さが出るのではないかと思います。

 

③劇団もるもっと「歩幅を合わせて」

ストーリーはストレートでわかりやすく、観ている側も理解しやすかった。

しかし、劇中の脚本の内容がそのまま主人公の悩みを表現しているため展開の遅さが気になりました。

葛藤や悩みも最初から最後まで一人で完結してしまい勿体無いと感じました。

役者も『歩幅を合わせて』というタイトル、バラバラなところから始まる設定ならば、どこかで『合わせられたら』良かったと思います。

(喫茶店なのであれば最後一緒に飲み物を飲むなど)

電話や他のお客さんが入ってくることの障害を上手く使えたらもっと深くなる気がしました。

音響や照明などのスタッフワークももう少しバランスを見れると良かったです。

大賞を決める演劇祭だとしても、時間が5秒延長しようと最後の暗転の余韻はあるべきだと思います。作品として破綻してしまいました。

一つの作品を作り上げる上でよい影響を与えられたらよかったです。

 

④劇団バッカスの水族館「お前の聖ッ書」

ストーリー展開がとてもよかったです。スピード感もあり、衣装の使い方も良く、何より観客が楽しめる構成になっていてよかったです。

舞台の使い方も面白く、一番観ていて楽しめました。

ただ、関係性の変化が少なかったことが残念に思います。

ストーリーの展開的に今までの登場人物にも何らかのつながりがあるのではないか?

と想像力が働くのですが、役者がピアスをしていたりして「園児ではなさそう」となってしまいました。細部にまでこだわれるともっと楽しめたかと思います。

ラストは賛否分かれるかもしれませんが僕はとても良かったと思います。

ただ5歳のままで台詞をいうところから始めるもしくは段々と5歳に戻っていくなどあっても良かったかと思います。