岡本理沙

 

Aブロック

■劇団モルモット 『友常』

少女の自殺理由と、生前の人間関係をめぐるミステリーを描きたかったのだと思いますが、前半からすでに、思わせぶり(なにか裏がありそう)な演技・演出になってしまっていて、肝心の種明かしがうまく機能していませんでした。種明かしをする寸前まで、“そうは見えない”人物でなければ観客を裏切れません。表層上では分からない人間の姿を描きたかったはずなのに、表面的な表現になってしまっています。モノローグを多用し過ぎ、観客が想像する余地を奪ってしまっています。少女の墓に登場人物が集まってくるのにも、都合のよさを感じ、ドラマの展開として無理を感じました。

■南山大学演劇部「HI‐SECO」企画 『蝉時雨、ある少女の夏』

前半の、セイタとナツミの初々しいやり取りから、高校生の心情の機微を描こうとしているのかと期待して観ていましたが、セイタが自殺して以降の後半が、悪い意味で過剰にドラマチックになっていてついていけませんでした。精神病の母親の描写があまりにひどく、セイタを追い詰めるためだけに出てきたという風にしか思えませんでした。また、母親の病状にも疑問が多く…。「蝉」や「よだかの星」がモチーフとして出てきましたが、作品とうまくマッチしていないように思いました。

■劇団ひとみしり 『リカちゃん』

描きたいことが明確で、演出とも合っていました。私は、今大会の中で一番評価しています。繰り返しや同時多発で描かれる日常のシーンは、ぜんぶ聞こえなくていい、という潔さがあり、それが主題の他者へのどうでもよさにかかってくるのですが、そのどうでもいいシーンがユニークで、素直に面白く見れました。昼と夜のシーンでのトーンの落差と、夜のシーンで行われていることが不明瞭なことが気になりました。網の表現は、あとから話を聞いて意図は納得しましたが、もっといい表現方法があると思います。狙ってやっていることなのか、気を配えてなくてそうなってしまっているのかには大きな違いがあり、後者に見えてしまっているのはとてももったいないです。演出を細部まで行き届かせれば、一段、レベルの高い作品になると思います。

■Iならアイせ 『カット』

自ら台本を選んで演じていき、うまくいかなくなるたびに台本を捨て新しい台本にするという姿を、ほぼ一人芝居の形態で演じているのですが、演技にテンポと力強さが欲しかったです。フラストレーションがだんだんと溜まっていく姿が見えたら良かったと思います。「カット」という声は、舞台外から聞こえてくるものでしたが、あれは自分で言ったほうがいいんじゃないかと思いました。また、最後に聞こえる声が「スタート」になることが呑み込めませんでした。選ぶ台本の内容自体がもっとオリジナリティに溢れていて欲しかったです。

 

Bブロック

■グリーきんかん 『もしも。虫、火傷』

設定が甘く、論理破綻してしまっています。もっと、虫を食べることへの生理的な嫌悪感を感じさせて欲しかったです。せっかく五感に訴えられる設定なのに、もったいないと思います。虫を食べるところをエアーでやっていたが、いや、食べろよ、と思いました。この作品の肝だと思うので、そこはなにかしら工夫して欲しかったです。なんなら客席から悲鳴が湧くくらいやって欲しいと思いました。

■極怒哀楽 『海岸沿い純情LETTER』

東日本大震災を題材にした作品だと思いますが、想像力が足りなさ過ぎます。安易に題材にしてしまっているように感じました。実際にあった災害を題材にしているのだから、もっと調べられることがたくさんあると思います。それができないなら、題材に選ぶべきではないでしょう。そこの甘さが作品のリアリティのなさや、ご都合主義に表れています。津波の表現として、服を絵の具で汚していくシーンがありますが、やることが中途半端です。舞台上にあるものが実際に変化しているという工夫はいいですが、津波の脅威が伝わってきません。最後の手紙で、令和元年○月○日(上演の日)と言っていることで、現実社会なのか、パラレルワールドなのか悪い意味で混乱しました。

■1秒/sに気まぐれ 『恒常線ジオラマグラフィー』

芝居が始まった瞬間の空気の変わり方はピカイチでした。観客をちゃんと引き込んでいたように思います。ただ、中盤から、やや飽きがきてしまいました。ずっと聞いていたい、見ていたい、と思わせられたら最高だなと思います。「鳥(とり)のような島(しま)」という台詞から、鳥と島という似た形の漢字であることを思い浮かべました。音が形を持った瞬間で、素敵だなと思いました。

■在り処 『窮鼠たちのメメント・モリ』

人が鼠になってしまうという現象と、神になった男の話が作品とうまく噛み合わなかったように思います。台詞やシーン自体は面白いところもたくさんあったので、作品に対して有機的でなかったことが惜しいです。登場人物の関係の多様さや、ステレオタイプではない活きたキャラクターになっていたのがよかったです。それに合った演技になっていたことにも共感がもてます。映像や椅子を動かして場面を変えていくところがあまりよくなかったです。舞台空間の使い方をもっと意識してください。

 

Cブロック

■名古屋芸術大学劇団超熟アトミックス 『雲の上はいつも晴れ』

傘の開閉で、心の状態を視覚化することはいいのですが、女が傘を差し、そこに居続ける理由と、それに対して話しかけ続ける男の行動に必然性がなく共感できませんでした。また、場所の設定が曖昧なことも、混乱させる原因のひとつになっています。雑貨屋のおばさんも、状況説明以上に出てくる意味がないのが、もったいないです。

■ポスト人類 『●●●』

全体を通して、とても丁寧につくられていて、絵も綺麗でした。ニュートラルで透明感のある役者三人の演技には、好感を持ちました。話としては、女子高生の一人が宇宙人であるということ以上のサプライズがなく、ありきたりになってしまっているように思います。三人目の登場で、話が展開しなかったところが惜しいです。三人の微細な心情・関係の変化が、宇宙人であるという突飛さよりも大きな変化として最後に残ったらよかったと思います。

■劇団モーメント 『せいふくたのしく』

何度も、“自由”ということを作中で持ち出しているわりには、作品自体がとても不自由につくられてしまった印象です。制服をカスタマイズしていくという様子が、もっと過剰に面白くなっていけばよかったと思います。主役の女の子が何の問題に直面しているかの設定がうまくないため、風紀委員も先生も傍観者になりがちになってしまい、結果、主人公がひとりで空回りしてしまっています。作中でも、私服でいいんじゃないかという話題がありましたが、主人公が制服にこだわる理由が見えると面白さが広がったかもしれません。

■愛知県立芸術大学演劇部:ムヂンエキ 『Iwanna』

転換・ナレーションを多用し過ぎていて、説明過多になってしまっています。ナレーションと、シーンが重複してしまっていて、効果的でありません。母親の描写が「毒親」という枠でとどまっていて、血が通ってないのが残念です。また、自殺未遂をおこして三途の川の番人との会話から現世に戻ることを決意する主人公は、母親との確執がなによりの問題のはずなのに、それが解決されていないのに現世に戻っていいのか、と疑問に思いました。人物の動機や心情をもう一歩踏み込んで描けるといいと思います。

■全体講評

全体を通して、自殺の話が多いなと思いました。その話題が、いま切実なものなのか、身近なものなのかは分かりませんが、取り上げられやすい題材なだけに、取り上げるからには、なにか新しい試みが見たかったです。講評会でも言いましたが、びっくりするほど面白かった!!と思える作品は今回なかったのがちょっと残念です。「学生演劇祭」という枠組みって、なかなか面白いなあと思います。変なの、とも思いますし。その枠組みの中で、枠組みを超える作品が生まれて欲しいなと思います。演技に関していえば、個人的な好みは置いといて、その作品に合った演技を選んでいるかどうかの意識の差が、大きく出たと思います。割と簡単にエアーでいろいろなことを表現していましたが、何をしているのかよく分からないことが多く、小道具を用意したくないだけだったんだなと思ってしまいます。必要なものは出した方がいいし、用意出来ないものだとしても工夫は出来るはずです。その工夫が面白いものなら、尚いいと思います。「これくらいいいや」が見えると途端につまらないです。面白くするために、惜しまないで欲しいと思います。

岡本理沙

妄烈キネマレコード

西尾武

 

Aブロック

① 劇団モルモット「友常」

女学生の死を通して三人の人物を描く群像劇でありながら、女学生の死の真相を推理して楽しむミステリー作品にしたかったんじゃないかと思いましたが、どちらも上手く機能していなくて中途半端に感じました。群像劇であるならば、死んでしまった女学生と登場人物の三人が、普段どんな顔で、どんな距離感で、どんなことをして過ごしていたのか、三者三様あるはずの日常の風景をもっと想像させて欲しかったです。これまでの関係性や人物像が作中から全然見えて来ず、感情移入も共感も出来ませんでした。もしかすると友達(友情)という関係性に対して疑問を投げかける作品だったのだろうか?とも思いましたが、もしそうだったとするなら女学生の死の動機が肉親への恋だったという結末に大きなぶれを感じます。また、この作品の重要な情報のほとんどがモノローグ(独白)によって説明されていて、人物たちが会話をするシーンがあったのにも関わらず、独白から伝わってくる以上の関係性や人物像などが垣間見えることはありませんでした。だったら、いっそのことモノローグ芝居に徹した作品にしてしまった方が、それぞれの人物像をもっと掘り下げられたり、女学生の死の真相やその後のことをもっと段階を踏んで紐解けたように感じます。

② HI-SECO企画「蝉時雨、ある少女の夏」

W主人公という構成が全然活きていなかったです。夏美が晴太に恋をしているという設定、晴太が蝉の生き方に憧れているという設定、晴太の母親が精神疾患であるという設定など、かなり重要な設定がいくつか散りばめられていたのですが、いずれもその描かれ方がかなり不透明で「夏美、本当に恋してる?」「蝉に憧れていることが何か君に影響をもたらしているか?」「そもそも母の病は何が原因で何に怯えている?」と作品にとって大事なポイントになってしまっているからこそ、具体的に挙げると限がないほどに要所要所で疑問に感じてしまいました。特に最重要キーワードである蝉の扱いがあまりに雑なのはいかがなものかと。短命でも一生懸命に命を燃やし死んでいく蝉に男の子は憧れているとあれだけ言っていた彼が結末として選んだのは、病んだ母を殺して自分も自殺するという選択です。自殺という選択や劇中の描写は、蝉ではなく「よだかの星」で。ただ、よだかの星の扱いに関しても、作品にいじめや差別だったりが関連してくるかと思えばそういうわけでもなく。個人的にどうしても納得がいかないのは、母親を殺して学校の屋上に飛び降りに来た晴太と鉢合わせた夏美が晴太からすべての事情を聞き、晴太の「母さんのところに行かせて(自殺したい)」という発言に対し「分かった」と言ってしまうところです。分かったという回答が、晴太の死に直結すると分かっていてはずで、彼のことが好きなのであれば、もっと全力で止めるやりとりをするべきだし、いくら懇願されても分かっちゃいけないです。好きだからこそ彼の自殺を許容したいという思いや、死という選択肢もあるというメッセージがあったかもしれませんが、そうであるならば「彼のこと全然見れてなかった」という彼女の発言や設定は無責任すぎます。事情も志向も環境も彼のことすべて分かった上で、死以外に選択はないと彼女が、観客までもが納得させられないと、そのメッセージ性に説得力がなさすぎます。

③ 劇団ひとみしり「リカちゃん」

まるで人形の名前のようなリカちゃんを主人公に置き、その他の役者たちはオモチャやぬいぐるいみ等を使ってモブキャラを演じ分け、町の景色やト書きなどを表現しながら何でもない日常を切り取る演出は、何回か見ても飽きることなく楽しめました。ただ、そのある種アナログな手法を用いて作品がどこに向かっていくのか楽しみにしていたのですが、最後はテキストの演出によって全部を説明をされてしまい残念でした。あそこまでテキストで説明されなくても分かると思いますし、そもそもテキストを出す演出が必要だったのか疑問に思いましたが、テキストを出す演出の狙いは分かりますし、あっても良さそう箇所は実際にあったので、もっとテキストで出す言葉を選んだり、出す箇所だったりタイミングなどをしっかり細かく計算した方がもっと効果的になるはずです。そして、オチに繋がるまでの伏線だったりは、もっとさり気なく入れ込みながらも、しっかり観客の脳裏に焼き付けるよう散りばめられる手段(実際劇中で使っていたテレビのテロップのような)を閃けたら、もっと面白くなるはずです。あと、オモチャやぬいぐるみ等を使うのであれば、そのモノに対するイメージを利用したり逆手にとった笑いの取り方ももっとあっただろうし、可能ならばそういったオブジェクトを扱うということを利用したり逆手にとった表現方法も見てみたかったです。日常の切り取り方や言葉選び、ユーモアを大事にしながら飽きさせないよう観客に届けるセンスをとても感じました。

④ Iならアイせ「カット」

主人公が自分の過去の体験を、劇中劇で追体験してしまう。という手の作品は世の中にありふれていますので、もっともっと内容や展開にオリジナリティ溢れる作品が見たかったです。劇中劇を4つ用意して、色んな作風を演じ分けよう

という挑戦には好感が持てました。ただ、演技や劇中劇の内容に振れ幅がそんなにあるようの感じられず、最初の劇中劇から最後の劇中劇まで作品の印象が大きく変わることはありませんでした。おそらく敗因は、最初の劇中劇からもうすでに不穏な空気が漂ってしまっていたので、どんどん内容が暗く辛辣になっていったとしても印象自体に大きな変化が生まれなかったのだと思います。幼少期に兄の死を目の当たりにしてることを描いてしまった時点で、結構内容としてヘビーです。やっぱりせっかく4つ用意するのであれば、新しい劇中劇へと進んでいく中で順風満帆に上がっていったところから転落していくようなドラマだったり、彼女の印象を転がしていくような効果が欲しかったです。劇中劇を(タイトルにもある)「カット」の一言で切ってしまう行為にも、その行為自体が都合良すぎるからこそ、現実からの逃

避以上の効果や意味を生んで欲しかったです。カットをし続けた先にあるものに期待もしていたのですが、特に何もな

い結末で残念でした。

 

Bブロック

① グリーきんかん「もしも。虫、火傷」

食糧難によって虫を主食としなければいけなくなる世界(未来?)という設定は面白いなと思って作品の世界に入りました。しかし蓋を開けると、何がその世界に残されていて、何がその世界にないのかという線引きがかなり曖昧で。虫を食べたくない女の子には、サバを食べられる(高価なようだが)という救済がまだこの世界にはある。魚を出すことによって価値観の違いを表現したかったのだと思いますが、虫以外の選択肢を出してしまったことによって、切実な食糧難で虫を食べなければ仕方がないという面白い設定に致命傷ともいうべき大きな穴が空いてしまったように感じます。お金さえ払えば虫以外のものを食べられるのであれば、必死にお金を稼いで虫以外のもので生きればいいのでは?という解決方法がすぐに思いついてしまいますし、魚は出てきたけど野菜は?お肉は?と他のものもあるんじゃないかという希望が生まれてしまいます。完全に虫だけしかなく、それを当たり前に美味しく食べる世界のなかで、虫に嫌悪を覚えてしまい食べられない女の子の話じゃダメだったのかなと思いました。その主人公の価値観が今に生きる自分たちにと

ってはマジョリティだと思うので共感性も生まれたと思いますし、例えば魚に対して嫌悪をする価値観を表現したかったのであれば、かつて存在した生物として魚を出せば良かったのではないかと(現代でいう恐竜のような扱いで)。そうすれば、虫だけしかなく虫を美味しそうに食べている人たちにも「こんな気色悪いもん食べれるかい!」というようなやりとりをさせられたと思います。

② 極怒哀落「海岸沿い純情LETTER」

被災した町で、「1年後、高校の前で会おう」と約束をしたのにも関わらず、集合場所に明美がなかなか来なくて、聡と静夏は明美の安否を心配しながら待ち続けるという話だったのですが、何度も何度も台詞のなかで強く訴えかけてくる約束の大切さというものに、まったく感情移入が出来ないまま物語が進んでいきました。津波による被災があったという背景があるからこそ、その土地を離れて違う土地で生活しているという可能性だってあるし、それどころじゃない現実とかがあるかもしれないし、災害が起こってしまった後の生活のなかでその約束というのはどれくらいの効力があるのかな?とも思いながら見ていました。約束の場所に友人が来ないからと言って「きっと彼女は死んでいないだろう、来ないってことは死ぬつもりだ!」となる展開にもとても疑問を感じます。自分の今までの人生のなかでも、約束した時間に約束の場所に友人が来ないといった経験は何度もありましたが、自殺しようとしていた人はいません。仕事や家庭の事情で遅れたり、来なかった場合に一番多かったのは寝ていたという例です(自分自身も何度かやってます)。ましてや作品の冒頭で寝坊をして遅刻してくるような女の子です、がっつり寝ている可能性は大いにあったはずです。例えば、約束というものには鬼のように厳しく、約束したことは這ってでもきっちりと守る、そういった性格が女の子にあったら見方が変わったかもしれません。

③ 1秒/sに気まぐれ「恒常線ジオラマグラフィー」

僕はこの作品の上演が始まった瞬間から、この作品の世界へ引きずり込まれました。視覚からも、役者の演技からも、提示したい世界というものがズドンと伝わってきました。そのスピード感たるや、見事でした。はたしてこのふたりはこのままどこへ連れて行ってくれるのかワクワクしながら見ていたのですが、特にそこから何かがあるわけではなく、じっと待ちぼうけたような状態で作品が終わりました。きっとそれが恒常ということなのだろうと解釈はしたのですが、せめてこの作品を見ている間は、役者の発する言葉や身体、全体の絵をもっと演出して、見ているこちら側に対して、もっと鮮明な絵(景色や風景などのビジョン)を次から次へと脳に植えつけて欲しかったです。きっと表現したいものだったり拾って欲しいものっていうのはしっかりあったのだと思うのですが、興味ある人はこっちまで取りに来て自由に持っていけばいいよというような作品に感じました。興味をひこうと多少の工夫もしていたように思います。ですが、ただそれでは弱すぎて興味をひき切れていなかったように感じます。種はたくさん蒔かれていただけに、その種から芽が出るのを見られなくて残念でした。

④ 在り処「窮鼠たちのメメント・モリ」

人間が鼠化してしまう奇病が流行するという設定は素直に惹かれました。ただ、鼠化してしまうという異常な現象がそこまで登場人物たちに影響を与えられていなかったようにも感じました。せっかく新島という男が鼠病に対して異常さを感じている描写があったので、もっと鼠病に対して恐怖や危機感を見せて欲しかったです(もっと観客の代弁者になって欲しかった)。その他の人物の行動にも「鼠病が流行っているから~している」また「鼠病が流行っていたとしても~している」などのように、鼠病に関連づいた行動をしてくれないと、鼠病という異常な現象を作品に取り入れた意義をあまり感じられずに終わってしまいます。ヒカルが新島に神を託した理由や、この作品における神様というものの存在意義や立ち位置を、僕はこの作品のなかから見出すことができませんでした。おそらく作者の中で、鼠や神様などのキーワードに裏設定や理由付けなど色々な意味があるように思います。それがもしあるのであれば、重要なことであればあるほど観客に片鱗でも拾ってように(分かりやすくなくてもいいので)明示した方が絶対に良いです。せっかく考えて作っているのに伝わらなかったり、考えてもらえないというのは勿体ないです、「意味なんてないし考えてないでしょ!」と言われた日には悔しくてしょうがないと思います。映像を使って鼠化を可視化しようとする工夫や、作品を飽きさせずに見せようとする努力、作者の強い念を感じる作風には好感が持てました。

 

Cブロック

① 超熟アトミックス「雲の上はいつも晴れ」

男が、傘をさしている女に話しかける動機が全く見えなかったので、最後まで作品のなかに入れませんでした。この際安易でもいいので、お節介すぎるほどお節介だったり、滅茶苦茶に一目惚れしたり、彼女を放っておけないほどに自分と重ねてしまうようなとんでもない闇があったり、好きだったあの子や生き別れた兄弟の面影があるとか、あんなにも話しかけたがるには何か理由がそこにあってくれと願っていました。町中にあんな人が立っていたら余程のことがない限り、何なら余程のことがあっても僕はあの人には話しかけないです。しかもあんなに何度も何度も熱心に。その難題をまずクリアしてくれないとこの二人の物語は始まりません。傘をさしている女も思いのほか普通の人で。それなのにも関わらず、傘というものにあんなに執着する理由も、天気問わず傘をさすという行為に執着している理由も、腑には落ちませんでした。なにか色々言われて嫌な思いをしたというようなエピソードがありはしましたが、それによって傘をさしてまでわざわざ外に出る理由には直結しません。外の人と関わりたくないとなるなら、引きこもる方が手っ取り早いからです。あの女の人がどうしても外に出てどこかに行かなきゃいけない事情(病院とか?)がある時に、天気関係なく傘をさして歩いていたりするならまだ分かりますが、そうではないように見えました。

② ポスト人類「冬の空」

じんわりと沁み入るような作品に好感を持ち、無理のない堅実な作品だったので見やすかったです。ただその反面、作品を評価するなかで頭ひとつ抜ける面白さが作品のなかに欲しかったというのが正直な感想です。主人公の女の子が、進路に対して「内緒」と答えていたのですが、あれは普通に「大学だよ」とさらっと言っておいて、ボイジャーの話題をしっかり活かし、堅実な進路(生き方)に対して葛藤しているのがもっと見えた方が良かったと思います。そして、宇宙人の子がもうすぐ帰るみたいな描かれ方をしていますが、あれも卒業後の進路選択にした方が作品としてまとまりは良かったはずです。そうなると3人目の遅れてきた子は、堅実タイプで勉強をしっかりしていて具体的な未来を見ているタイプだった方が、主人公に対してもっと影響を与えられたように感じます。最後、主人公の子が宇宙人の子に対し「帰らないで」と引き留めちゃうのではなく、「いつか私も故郷に連れてって」くらいの台詞をかけてあげた方が、主人公もほんの僅かでも一歩前に進める感じがするし、未来に浪漫があっていいんじゃないかなと思って見ていました。急遽演目の変更があったということですが、しっかりと役者の空気感にマッチしていて見事だったように思います。僕は個人的に好きな作品でした。

③ 劇団モーメント「せいふくたのしく」

主人公の行動や信念に突き抜けるような芯がなく、結果なにも解決も変化もないままに打ち切りマンガのように物語が終わってしまったので、結局この作品で何をしたかったのか?と思ってしまいました。制服制度を撤廃して、自由なファッションを楽しみながら学校生活を送りたいのかと思えば、そういうわけでもなく。制服というものに固執してしまっている時点で、すでに彼女には本当の自由はなく、制服以外にも学校という環境には不自由なものが溢れかえっているはずです。主人公が自由という言葉を振りかざしながら自分が考案した制服を無意識のうちに生徒に押し付けてしまっている(征服している)という話にしたいのかなと思った瞬間もありましたが、作品を見るにそうでもないように感じました。もしもそういう話にしたかったのであれば、ちゃんと主人公が征服する展開が中盤に必要で、後半で征服してしまっていた現実に葛藤するシーンなどが必要だったはずです。そもそも主人公が脇目も振らず「自由な方が楽しい」と散々主張をするのですが、それを主張するに至るまでの背景が全く見えてきません。自由を奪われたことにより楽しくなかった体験やエピソードが劇中が具体的に描かれないと、ただただ主人公が的外れなことを言い続けてから回っているようにしか見えません。

④ 劇団ムヂンエキ「I Wanna」

ヴァイオリンの天才と謳われた姉・ひかりが自殺してしまい、その意思を継いでヴァイオリンを始めた妹・あかりも自殺(未遂)してしまったという話だったんですが、姉妹のヴァイオリンというものに対する「好き」という思いが言葉以上の形で見えて来ないので、タイトルにもある「I Wanna」に対して疑問を感じました。ありもしない完璧を求めて自殺した姉と、追いつけない姉の背中を追いかけ自殺をした妹。この二人が純粋にしたいこと、我が儘な部分が作品から感じられず残念でした。この二人を救済出来るのは母親なはずなのに、逆にプレッシャーをかけにかけまくって自殺に追い込んでしまう。母親が異常なほどにヴァイオリンというもの、天才ヴァイオリニストを育てるということにそこまで執着する理由を具体的に描いて欲しかったです。最愛の娘・ひかりの自殺を経てもなお、自分に原因があったとは微塵も考えておらず、妹のあかりで全く同じことを繰り返してしまうのを見て、やりたいことが一貫しているのは母親なんじゃないかとも思えてきました。本人が自分が原因だと分かっていて、これはいけないことだということも分かっていて、それでも止められない異常性に悩む母の葛藤が作品のなかにあれば救いがあるのですが、そういった描写もないので、あかりは自殺未遂として意識を取り戻したとしても、また自殺に追い込まれて帰って来てまうのではないでしょうか。せめて、未来に少しでも希望が持てるように主人公が三途の川から生き返って「何がしたい」かもっと確固たる覚悟が欲しかったです。「もう少し頑張ってみる」は、沼です。

 

総評

今回の名古屋学生演劇祭を通して、短編作品の難しさというのを改めて再確認しました。上演された短編作品のなかで、そもそも作品としてちゃんと成立していると思えるものがとても少なかったように感じ、上演された多くの作品が色々と詰め込んでみた結果、上手く描き切れていないまま中途半端になってしまっていたり、余計な矛盾点や疑問点を生んでしまっていたり、扱いきれないまま足枷になってしまっていたような印象でした。もしかすると、全国学生演劇祭を見越して、そこで回収すればいいかなという作品づくりをした団体もあるかもしれませんが、ひとまず名古屋学生演劇祭というのは20分という規定があり、その規定のなかで面白い作品を上演するという大会ですので、やはり20分という時間のなかで作品を出し切ってくれないといけないわけです。20分という短い時間しかないなかで表現しなくちゃいけないので、1秒でも時間を無駄にしちゃいけないわけです。特に作品の冒頭で何を見せるかというのは本当に重要です。この作品はどういう話で、どういう世界で、どういうルールで進んでいくのか?これをいかに素早く提示ができるか。これはもう本当にスピード勝負だと思います。観ている人にいち早く作品の入り口に立って貰って、どんどん奥へと引き込んでいかなくてはいけません。引き込んでいくためには、「登場人物」「設定や物語」「表現方法」などにかなりの魅力が必要となってきます。これが魅力的であればあるほど、観ている人はどんどん作品に没入していきます。きっと皆さんそれをなんとなくは分かって作品を作ってきたんだろうなぁと感じました。だからきっと色々詰め込んでしまったんだと思います。しかし、先に書いたように詰め込ん

だ要素を効果的に扱えなかったらマイナスになってしまいます。詰め込んだ要素を粗削りながらも上手く活用し、自分の作ったフィールドをしっかり味方にしていた劇団ひとみしりの「リカちゃん」が三冠で見事大賞に輝いたのも納得です。なので、要素をなんとなく詰め込めばいいというものではなく、もっとその要素が活きてきているかしっかり吟味したり、もっと要素が活きるように工夫をするべきです。僕も20分程の短編作品をつくることもありますので、その大変さだったり、難しさというのはとてもよく分かります。僕も今までにたくさん失敗をしていますし、まだまだ失敗することもありますし、ふと見失ってしまうことだってあります。だからこそ思うのは、ダメだったことをダメだった結果だけで終わらすのではなく、その結果のなかから気づきをたくさん見つけて次に繋げていってください。大切なことなので何度も書きますが、時間が制約されているのであれば、そのなかで出し切らなければいけません。それを自覚した上で、台本の言葉だったり、演出だったり、演技だったりを追求していって欲しいです。

オレンヂスタ

ニノキノコスター

 

■A-1 劇団モルモット 『友常』

「あなたが思う友情って本当に友情?」を叙述トリック的に見せたかったのかな?と思うのですが、そもそも墓参りにまで来る人間が友達と嘘ぶく動機が全くもって不明瞭でした。不在者が「映え」る子だったためSNSのイイネを求め友人と嘘ぶいてたとか、その子も兄に恋してたから蹴落としたかったとか、不在者が自害にいたる理由と偽の友情を明確にリンクさせた方が、主題をストレートに提示できたのではないでしょうか。構成としては、不在者について語りたいならは独白を一切入れず割り切ってワンシチュ会話劇にした方が明確だったでしょうし、「友情の曖昧さ」を観客に投げかけたかったのなら、死に至るまでの経緯をドラマで展開させていった方が観客が共感しやすかったように思われます。

■A-2 南山大学演劇部「HI-SECO」企画 『蝉時雨、ある少女の夏』

「何故、女性の方が男性の役をやったのか?」、これに尽きるかと思います。髪型をおだんごにしていたため「女性が男性を演じる」ことに意味合いが付き、その情報が大きなノイズとなってしまいました。演出に関しては、全般的に「なんとなくの選択」を感じたため、如何に説得力を持たせるか、必然性があるのか、もっともっと細部までより突き詰められた方が良いように感じました。戯曲に関しては・・・「蝉」と「よだか」というモチーフがそれぞれただの点でしかなく、結局のところ主題が曖昧となっていたように感じました。「母親が病んでしまい殺してと叫ぶので殺害し自分自身も自害した男の子、のことが気になっていた女の子」の物語なのか、それとも男の子の物語なのか、20分で見せるには軸を跨ぎすぎていたのかもしれません。そもそも彼と母がそこまでに至るには母が抱いていた人形にも理由があるはずでしょうし、概ね「漠然としたイメージ」でのみ構成され羅列されていたように思います。これらを一層コトコト煮詰めていった方が良いのではないかな、と。俳優陣の基礎的な演技力はあると思うので「えっコレ何でなん?」のバグ潰しをしていったら良いのではないかなと思います。

■A-3 劇団ひとみしり 『リカちゃん』

主人公「リカちゃん」にとって他者のことが全て他人事である、軽薄な距離感をヌイグルミを操ることで表現しようとしていたのでしょうが、そうすると最後にヌイグルミを他者から投げつけられるのは「ヌイグルミの逆襲」となるはずで、ならば上に吊ってあった「ネット」(恐らくインターネットを示したかった?)をより効果的に使用することもできたのになぁ、と思います。ヌイグルミを操る時はヌイグルミの目線のみを観客に提示しないと、俳優自身の表情もあるため人間の二面性を示している意味合いになってしまいますのでお気をつけください。観客とのコミュニケーションツールが映像のみで大黒に投影されているというのも、第四の壁が包むようにあるようで大変面白かったです。

■A-4 Iならアイせ 『カット』

人生を沢山の本に例えて見せていく構図自体は面白いと思います。その内容がよりユーラスで俳優の演技力が追いついていたら、より面白く観れたのではないかな、と・・・

「舞台さえ整っていれば、良い台本にさえ巡り合えれば」と「周囲の環境」に問題転化していた人間が自身の足で歩こうと立ち直るには、畳みかけがいささか早すぎるように感じました。他者からの言葉も重要ですが、結果的に自分自身で発見し行動が伴わなければ、ご都合主義的に見えてしまいます。演技演出的には、パペットを使用する際の視線誘導が上手くいっておらずどうしても俳優の表情を見てしまうので、パペットを使用する際は面をするか面を切るかパペットを見るかされた方が余計なノイズは生まれないのではないかなと思われます。

■B-1 グリーきんかん 『もしも。虫、火傷』

未来設定で会話劇にするなら、もっと設定をつめないと不具合が多すぎて入り込めないんじゃないかな、と思いました。むしろ背景に敷いた物が本来伝えたいことのはずで、主題に対する構造の詰めが甘いのと、主題をぼやかしすぎではないかな、と。恐らく「固定概念を疑え」が根本的な主題なのでしょうが「虫を食べるとか気持ち悪い」だけだと「いや日本に虫食文化あるし・・・ハチノコ美味しいよ・・・?」となるので、まず自分自身を疑う所から始めても良いのではないかと思います。ヴィーガンや捕鯨問題にまで踏み込めそうなコンセプトではあるので、善人にも悪人にも理屈や正義がある側面を描いたり・・・いっそ全編虫食について世界的に議論をするだけの20分とかでも良かったのではないでしょうか。見てみたいです、虫食党が「鯨は知性があるからダメ」と言い、鯨食党が「虫は気持ち悪いからダメ」と言う不毛な会話。

■B-2 極怒哀落 『海岸沿い純情LETTER』

一番の問題点は「津波」というワードで我々が思い起こすのが2011年である、という点です。手紙の日付を令和元年にしたことで、我々は2018年に津波があった世界線に迷い込んだ訳ですが、しかしそれが意味を為していなかったため「謎のファンタジーランドに巻き込まれてしまったなぁ・・・」という印象です。明るそうなトーンから始まったものの、意味が分かるのが早すぎて・・・つまり15分間は自害を決意した女性の遺書朗読と、来ないねと言う男女を見せていることになるのですが、「せっかく自然災害を生き延びたのに何らかの理由で自害を決意してしまった人間を止め生きていることの尊さを描く」には、観客が納得いく自害理由の提示、「何故彼女を止めたいのか、何故大切に思っているのか」の提示がもっと必要だったのではないでしょうか。高校生の割には友情がファンタジカルだったのではないかな?と。ペンキで服を汚していく演出は面白かったですが、飽きが早いのと、理屈として成立していないように

感じました。汚れてく度に「思い出を失う」とか「辛い経験をした」内容などを羅列することで苦悩を見せる手もあったように思います。俳優陣に統一感があった点は良かったんじゃないでしょうか。

■B-3 1秒/sに気まぐれ 『恒常線ジオラマグラフィー』

「てつがくしゃがあらわれた!てつがくしゃはなかまになりたそう・・・ではない。てつがくしゃはさっていった」という感じでした。こういう構成劇においては演技演出が観客とを繋ぐ全てであり、俳優の音声と身体こそが美術品でなくてはならないので、もっと鍛えられた身体性で見てみたかったです。メトロノーム・影・灯り・ビニール袋の演出は、最終的に戯曲に意味を成していたかというと何だかそうでもなさそうなので、よりリンクした使用方法もあったのではないでしょうか。例えばビニール袋、ただ灯りを隠すのに使用するだけでは無く、見立てやオブジェクトパフォーマンスとして使用しても面白かったのではないかなぁ、と。演出への挑戦と詩作的な戯曲は大変興味深かったので今後に期待しております。

■B-4 在り処 『窮鼠たちのメメント・モリ』

コンセプトや設定は面白いけれど煮え切らないのは、主人公の目的と障害が不明瞭だからではないでしょうか。設定に対しユルめの芝居のトーンは大変面白かったですが。ネズミ病の拡散はRTを示し、ネズミ化は「心を失った人間」を示し、ネズミの殺害がネットリンチを示すのであれば、ネズミという「膨れ上がった情報」の元を正せば一人の人間がいたはずで、それが例えばパパ活の女性ならばネットレイプにも繋がり、それを殺す「ネ申」=「カミ」にも繋がったような気がします。となると正義の鉄槌の後に「カミも正しくはない」という明確な方向性が必要だったかもしれません。つまり人間であったネズミを躊躇なく叩ける・殺せる時点で彼はカミでなくやはり人間で、観測者であった元カミこそが「神」なのでしょう。という点まで攻められたら、「カミ」「ネズミ」の意味合いをもっと突き詰められたら、と思います。「姦淫するなかれ」とか言いつつ神のが悪魔より人間殺してるよね感は面白かったです。

■C-1 名古屋芸術大学劇団超熟アトミックス 『雲の上はいつも晴れ』

戯曲において男女共に行動の動機が描かれておらず、男は何故話しかけ続ける行動に出たのか、女が心を閉ざし「傘」を選んだ理由は何なのか、また立ち直る動機は何だったのか、全て作者の都合が良いようにしか描かれておらずご都合的に感じてしまいました。第三者である雑貨屋の女性が新しい情報提供を行い二人の関係性が異なっていけば良かったのではないか?とも思います。演技演出にてこれらを補足することも出来たと思いますが、紋きり型の演技から脱却できておらず、今後、工夫が必要になるように思います。

■C-2 ポスト人類 『冬の空』

脚本・演出・俳優・スタッフ全てが一丸となり丁寧にひとつの作品世界を形成できていたのではないでしょうか。特に俳優が、無理のない自然体の演技で3人の関係性を丁寧に描いていました。ただし戯曲の構造上、とりとめがなさすぎではあり、関係性の変化にもうあと一歩、欲しかったように思います。しかして全編を通したささやかさ・つつましさが大変美しい読後感を形成していました。

■C-3 劇団モーメント 『せいふくたのしく』

第一に「高校演劇っぽいなぁ~!」という印象です。モチーフ含め。主人公の目的が「自由を勝ち取る」ところから気付かない内に「楽しいかどうか」にスライドしており、また目的に対する動機「何故彼女は自由を求めるのか」が提示されず何も解決しないまま終わってしまったため、一人で空回りしているだけの構図となっていました。それを揶揄する内容かと思えばそうでもなく、展開にちょっと無理があったかな?と。せめて彼女が「楽しい」に固執する背景や「自由じゃないことに対して何があったか」などが描かれていたり、自由を押し付けることで逆に他者を不自由にしていくなどの展開があればタイトルがひらがなである理由などにも紐付けられたのではないでしょうか。

■C-4 愛知県立芸術大学演劇部:劇団ムヂンエキ 『I wanna』

録音ナレーションで述べられた内容が再び目の前で上演される構図になっていましたが、これはどちらか踏まえれば済むことであり、二重構造にする意図は感じられなく、単なる説明過剰となっていました。ちょっと漫画的なコマ割り感がありましたね。自死していた姉が後悔していたとはいえ母とは何の解決もしていないのに妹を再び送り込む理由や、姉が何故番人だと隠すのか、そもそも自死したら番人になるものなのか?などの設定には少々混乱しました。また一切描かれてはいませんでしたが、姉を亡くしてなお妹も追い込む母のバイオリンや成功への執着心の方が、むしろ心理的に大変気になりました。もっと見てみたいです。恐らくバイオリンをやりたかったけど家にお金が無いので諦めて自身の夢を子どもに託す、そんなこの人こそ親とも夫とも上手くいっていないことでしょう。そのような人間がどのようにして子に向かい変わっていくのか、大変興味深いです。音響への工夫、照明の絵の作り方、舞台美術など総合してスタッフワークの絵画的な美しさはとても素敵でした。